とりあえず作ってみたブログ

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地元名所を少しだけ

おととい晩から実家にいます。青春18切符で旅行をしているP氏が播州赤穂にも立ち寄るらしいので、出迎えてきました。滞在時間2時間強という短時間だったけど、早周りで市内名所をまわってみました。

播州赤穂駅からまっすぐ南下して、息継ぎ井戸。いわゆる忠臣蔵(元禄赤穂事件)の中で序盤に登場する場所でもあります。(江戸から4日半で播州赤穂まで走り抜いて帰ってきた早駕篭がお城へはいる前にここで水を飲んで息を継いだという逸話から)

#もっとも今の井戸は平成に入ってからの移設したはずだけど。

 続いて赤穂城

080815_赤穂城1 080815_赤穂城2

 このお城、明治時代にすべてなくなっています。今のは再建されたもの。特に左の本丸跡は新しいです。ここ10年程度のはずです。高校卒業までこの街にいましたが、当時本丸跡地は単なる更地。(その前、昭和56年までは赤穂高校の校舎があった。)
 右の写真、赤穂城の写真といえば必ず登場する角櫓。観光パンフレットとは違うアングルなのでわかりにくいでしょうけど。ここで一つ間抜けな失敗をしてしまいました。私が住んでいた頃はまだ、写真左側の太鼓橋を車で通ることができました。その感覚が抜けていなかったので、何気なく車で渡ろうとしてしまい、車止めに危うくぶつかるところでした。いやはやお恥ずかしい・・昔はお城の中にも一般家庭があったので生活道路でもありました。

 つづいてお城の中にある大石神社へ。

080815_大石神社1 080815_大石神社2 080815_大石神社3

 本殿が建て替えられたらしくきれいになってました。左が門から中へ進む様子。多少の変化はあるけど、この眺めはそんなに昔と変わらない感じ。
 真ん中が、本殿から山門、外を眺めた図。前述の通りお城の中にあった一般住宅が立ち退いたため、景色が様変わりしてしまったのです。(昔は、道路向かい、敷地となり、ともに一般住宅が並んでいた)
 右が、本殿横にある宝物殿。これだけが昭和の佇みのまま残ってました。

#近所に歴史資料館などもありますが、閉館時間だったので残念ながら省略。

 エライ変わり様にびっくりしたけど、よくよく考えるとここ15年以上お城へ行った記憶がないような。そんなんでガイドのつもりだったはずが観光客化してしまったのでした。

 こんなんではちゃんと紹介できないので、オフィシャルにはこちらの観光協会のページをどうぞ。
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